
2月14日(土)に調布の西部公民館で開催された「環境講座」<まだ、間に合うのか?“環境と文明のゆくえを探る”(全3回)>を聴講してきました。
第2回の今回は恵泉女子学園大学名誉教授・元学長の石井摩耶子先生による「レイチェル・カーソンの『沈黙の春』などから学ぶ」という講座でした。先生の教えていらしたキリスト教系の恵泉女子学園大学では、昔から「園芸学科」という国内の女子大でもユニークな学科があるので注目されています。
「沈黙の春」(原題・Silent Spring)であまりにも有名なレイチェル・カーソンは、私が高校時代に英語の教科書で教材(一部)として使われていたのでよく覚えていました。
1962年にアメリカの女性海洋生物学者であったレイチェル・カーソンが農薬・DDTの危険性を事例にして、環境の汚染と破壊の実態を告発し、自然の摂理を無視し、生命の連鎖を断ち切るような技術利用・文明社会に警鐘を鳴らしました。
高校時代に学んだことで印象に残っているのは、このDDTが使用され続ける限り、自然の生態系が壊され、ゆくゆくは寒い冬が終わり春が訪れても生き物(野外の昆虫や野鳥など)の鳴き声やざわめき、生命の営みが聞こえてこない「沈黙の春」を迎えるであろう、という警告でした。
公民館の講座の前半では、このレイチェル・カーソンの生い立ちから学んでいきました。人生における影響力を与えた人物の存在と出会い、という点で興味深く学べました。
彼女の思想を決定づける最初の重要な影響力は彼女の「母」の存在です。牧師の娘として神学校を出たレイチェルの母は、子どもに創造力と感受性を育むために自然について学ばせることをしました。レイチェルの自然に対する鋭い観察眼はこの子供のころの母との野外体験にあったようです。
読書好きで文才があったレイチェルは作家を目指して、せっせと文学雑誌に投稿し、受賞した経験もあります。後に、科学者でありながら天才的な文才を持ち合わせた彼女は著作活動で能力を発揮し、評価されることとなります。
お金を工面して入学したペンシルバニア女子大学では、第二の影響力を受けたとも言われる「師」との出会いがあります。生物学を専門にするメアリー・スコット・スキンカー教授(女性)です。理想が高く、独創的で興味を惹く授業や実習を展開し、結果よりも努力を惜しまない学生をあたたかく励まし、いい加減な学生には容赦しない公平な先生だったようです。
この教授との出会いにより文学を専攻していたレイチェルは海洋生物学を専門に転じます。大学を出た後は、経済的理由から公務員となり、魚類・野生生物局にて広報物の執筆や調査などを行います。その時に出版した本「わられをめぐる海」がベストセラーになります。そして「沈黙の春」への執筆に至ります。
そして講座の後半部分では、「環境教育家」としてのレイチェルについて紹介されました。
レイチェルの姪の幼い息子ロジャーのために書かれた「センス・オブ・ワンダー」という本から石井先生が選ばれた言葉を抜粋してここに記します。共感する内容ですので、長いですが、味わいながらゆっくりとご覧下さい。命に対する女性たちの感性を養おうとしたレイチェルの言葉が心にじんわりと響きます。
●もしも私が、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けて欲しいと頼むでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです(『センス・オブ・ワンダー』21-2頁)。
●美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知のものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などの様々な形の感情がひとたび呼び覚まされると、次はその対象となるものについてもっと良く知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身に付きます。消化する能力がまだ備わっていない子どもに、事実をうのみさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切り開いてやることの方がどんなに大切であるかわかりません(同上書23頁)。
●人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代を過ごす愉快で楽しい方法の一つに過ぎないのでしょうか。それとも、もっと深い何かがあるのでしょうか。私はその中に、永続的で意義深い何かがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることは決してないでしょう。(同上書50頁)
参考までに「センス・オブ・ワンダー」の翻訳者・上遠恵子氏のインタビュー記事
http://eco.nikkei.co.jp/interview/article.aspx?id=MMECi3009026122007
写真は鳥の囀りに耳を傾けるレイチェル・カーソンと昨年の春、多摩川沿いで撮ったもの。
7 コメント:
センスオブワンダー、とても共感です。
シュタイナーもその必要性を説いていますよね。
昨日、不妊治療で体外受精した女性に、間違えて別の患者の受精卵を移植したってニュースを見て、choufushiminさんのブログ読みながら色々考えちゃいました。
「沈黙の春」ってそういう意味だって今頃知りました。ありがとう。kimu
ちぃさん、コメントありがとうございます!
来月会う時までに私もシュタイナーの本読んでおきます。最近は、特にこういうものが読みたくなりました。意識の変化かな~!?
kimuさん、この間はありがとう!
そうですね。人工的なものに頼るばかりに自然の摂理に従わないと思わぬところで大きなリスクがあるんですね。
人間ってどこまでも科学の力を妄信してやってしまい過ぎるところが怖いですよね。私もその事件について考えさせられました。
センスオブワンダー、以前からずっと気になってましたが、まだ読んだことないです~。ぜひ読んでみますね。
シュタイナーの話ですが、7歳までは言葉を教えたりとかせず、とにかく直接体験だけさせる、感覚に働きかけることが大切とかって聞きました。海の絵とか見せて、「海だね~」とか教えるまえに、海に実際連れて行くとか。
私は今、子育てをしているので、失ってしまった自分のセンスオブワンダーを子供と一緒に取り戻し中なのかもしれません。
自分の子供時代の、何でもない一日、雨の日に窓からボーっと庭を眺めていたこととか、ふと思い出したり、、でもそういうのって、とっても豊かな時間です。(笑)
でも、日常的に、刻々と変わっていく、「地球の美しさ」に素直に感動できたら、ホント心底満たされますねー。
mukanmonさん、コメントありがとうございます。そして先日はとても楽しいひと時で充実しました!
子育てをしながら、お子さんとともにセンスオブワンダーを取り戻すことは素晴らしいですね。mukanmonさんは、以前からお子さんの純粋な部分に忘れそうになっていたご自身のピュアさに気付く、とおっしゃっていましたよね。この言葉が私の心にも強く印象に残っていました。そして、今なんだかとても良く分かるような気がします。
ある哲学者が本に書いた「女性は時(とき)の守護者である」という言葉にはっとしました。
「自分の子供時代の、何でもない一日、雨の日に窓からボーっと庭を眺めていたこととか、ふと思い出したり、、でもそういうのって、とっても豊かな時間です」
のような自然界の時間の流れや移り変わりをしっかりと感知していくことです。
無時間の中で仕事をしていく男性とは違った意味で女性の大切な存在意義を示しているように思いました。
↓内田樹氏の著書から
「自然が教えてくれるものとは何か。
(中略)自然から子どもが学ぶ最大のものは私見によれば「時間」である。
自然の中では雲も、風も、木も、花も、虫も……みな時間の中で動いている。あるものは速く、あるものはゆっくりと。(中略)
都会にいるときに不快を減じるために時間をできるだけ切り縮めようとするのとはちょうど逆に、自然の中にいるとき、私たちは空間的事象を時間の流れの中で賞味することからできる限りの愉悦を引き出そうとする。(中略
雲を観る人間は、空間的現象としての雲の動きを一種の「音楽」として、つまり時間的な表象形式の中に読んでいるのである。(中略
自然の中の生活は、万象を「音楽」として聴くこと、「空間を時間的に表象する」ことへと私たちを絶えず誘うのである。」
おもしろいですね~。女性は時の守護者であるって、なんだかとても腑に落ちるような気がします。そっか、この点をポジティブに理解していれば、夫婦喧嘩は減るのかな~なんて思いました。(笑)
自然から学ぶものは時間、、、深い言葉です。時間と空間がきちんとクロスする場所に人間は存在するような気がするのだけど、都会での大人の生活は、だから、生きているようでリアルに生きていないのでしょうね。「生きて」いない状態でも体を起こし、電車に乗って会社に行って仕事が出来る、、ってなんだか奇妙です。
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